年明けに『くらしのアナキズム』という本を読みました。
これ自体、とってもいい本です。機会があればぜひ手に取ってもらいたいです。
とくに、「わたしたちが政治を変えられる手段は選挙だけ」と普段思っている人に。選挙のたびに「今度こそは」と期待して、結果に落胆して、無力感や絶望感に苛まれて……を繰り返しているわたしのような人に。
この本はわたしに、政治を変えられるのは選挙だけじゃない、ということを教えてくれました。政治は権力者の手の中にあるのではない、わたしたちの暮らしの中にこそあるんだ、と。暮らしの中で、自分たちで問題に対処する知恵や自信を育んでいくこと。それが自治だと。
具体的にどうすれば?
たとえば、目の前に困っている人、助けを求めている人がいれば、「誰かがやってくれる」「国や行政がやってくれる」と人任せにせず、自分が動く。さりげなく手を差し伸べる。
たとえば、日頃の何気ない会話の中で対話を重ねる。
たとえば、不満や対立感情が高まらないよう、じっくり、いろんな意見を出し合いながらもんでいく。
そういうこと。
政治を政治家まかせにせず、経済を資本家や経営者まかせにせず。
『くらしのアナキズム』の中では、それを「暮らしの中で関係性や場を耕すこと」といいます。 イイトコや、他者との物の交換である「ものくる」で、これは実践できそうな気がします。いえ、もうすでに場を耕しているとも考えられます。
地域に必要だと思った場や機能を、自分で作り出すこと。それが自治だということです。そう捉えると、わたしのやっていたことは「自治」だったんだな、と気づきます。
以前、「リビングルーム」という、各家庭から持ち寄った不要品を並べて、地域の中にもう一つの居間を作っちゃおう、というプロジェクトがあって、それを関原でもやりたいなと動いたことがあるのですが、参加者の思いがなかなかまとまらなくて、結局は自然消滅してしまったんですね。
プロジェクトの資金集めや物件探しにぶち当たったとき、参加者とのやりとりの中で「趣味にはお金や時間を使うのに、それがなぜ地域活動だとお金や労力を使えないんだろう?」って疑問がわたしの口をついて出たことがありまして。
今ならわかります。わたしがやりたかったリビングルームは、「自治」だったんだと。だからそのときわたしがすべきだったのは、参加者に呼びかけて、この自治に会費を出しても加わりたいという人を探し出すことだったのかなって思います。
自治と趣味の違い。『くらしのアナキズム』を読んで今頃気づきましたよ。でもいいんです、人は与えられた答えより、自らつかみとった答えのほうが学びになるっていうじゃありませんか。7〜8年越しにつかんだ答えです。大事にしていこう。
そういう目で見渡せば、長年愛読している生活クラブ生協の機関紙のタイトルも、「生活と自治」。政治を政治家まかせにしない。経済を資本家まかせにしない。欲しい暮らしは自分でつくる。そんな心強い存在が近くにいましたよ。「ないなら作る」って言ってイイトコを作ったのも、もともとはこの生活クラブの姿勢に感銘を受けたからだったものなぁ。
政治家に譲り渡した主導権を、わたしたちのもとに取り戻す。よりよい状態を要求したり、よりよいやり方を自ら実践していく。そこから政治は変えられるんです。
蛇足ですが、ろくに儲かりもしない、まさに趣味でやってるようなビジネスのことを「道楽」って言うじゃないですか。だからイイトコもこれから人に紹介するときは「道楽でやってるんですよ」じゃなくて、「自治でやってるんです」って言おうかな、なんて思ったりしてます。
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